世の中、ギバーは良い奴、マッチャーは中立、テイカーは悪い奴みたいに簡単に区切れるものでもない。というのも、エフォートテイカーとテイカーマッチングギバーがいるからだ。
エフォートテイカーとは人に生きる力を分け与える側として生きていこうともがいているのに、テイカー的な立場から抜け出せずに常に自己嫌悪に陥っているような悪意なきテイカーのこと。
テイカーマッチングギバーとは、悪意なきテイカーと相性のいいギバーのこと。自分は常にギバー側の立場でなければ許せず安心できないみたいな、もはや相手が本当に喜ぶかどうかは二の次の強迫観念的なギバー。これが悪く働くとお節介な人や恩着せがましい人みたいな感じになる。しかし、その自分流のギブを受け入れてくれるような相性のよい悪意ないテイカーに出会えれば、凸と凹が合わさっていい感じの関係性を築ける。
だいたい、相手の都合を考えずに相手をただ利用しようとしてるならギバーだろうとテイカーだろうと悪い人だ。そして、もしそういう悪意がなかったとしても、人の能力というのはそれぞれ違うため、みんながどれだけ頑張っていても、そのコミュニティにおける貢献度が低い人というのはテイカーとして位置付けられてしまう。それはしょうがないことであって、大事なのは関わる人を間違えないこと。テイカーは自分がそういう立場になってしまっていることは認めて、そうであってもなるべくお互い心地よい関係性を築ける人を探すことが大事。本当の悪人もいるのかもしれないけど、だいたいの場合においては悪い人がいるのではなく悪い関係性があるだけ。悪い関係性が加害者や被害者を生んでしまう。その悪い関係性において加害者になった人も別の人と関わっていたら加害者にならなかったかもしれないし、被害者においても然り。
とはいえ、どんな人と関わっても加害者にも被害者にもギバー偏重にもテイカー偏重にもならず対等な関係を築ける、その範囲を広げていくことや、自分にとっての関わってはいけない人を見極められるようになっていく、ということも人としての成長の一つなんだろうとは思う。